神の奇跡は、神にとっては奇跡ではない

『わたしは全能の神である』:神の奇跡は、神にとっては、奇跡ではない・・。去る9月24日のサンディエゴ日本人教会の礼拝で大倉信牧師は「本当の奇跡」と題して礼拝のメッセージを取り次がれました。
「一人の罪人が悔い改めるのなら、そう、あなたがあの日、あの時、主のもとに立ち返った時、否、もし今日、この主を心に信じ受け入れる方がおりますのなら、驚くなかれ!、天では御使い達が歓声をあげたのです。なぜですか、それこそが本当の奇跡だからです。」
このメッセージを聞いて私は又もや目を開かされ、なるほどと心の底からうなずきました。神様は万能のお方。「死人を生かし、無から有を呼び起こされる」ことがお出来になり、どんな奇跡をも出来るお方だということを確信しました。
今回の大倉先生のメッセージで、神様のなさることは、実は奇跡ではないのだ、「神にとっては当たり前のこと」なのだと知らされ、神の偉大さ深さに、心の目を開かされました。
イエス様のなさった下記の10の奇跡
マタイの福音書8,9章にはイエス様のなさった下記の10の奇跡が書かれています。
- らい病人のきよめ
- 中風の僕のいやし
- ペテロの姑の熱病のいやしと悪霊からの解放
- 嵐が静められた奇跡
- 汚れた霊につかれた人々から悪霊が追い出されたこと
- 床の上に寝かされて運ばれた中風の者のいやし
- 12年間、長血をわずらった女のいやし
- 会堂司の娘が死からよみがえったこと
- ふたりの盲人がいやされたこと
- 悪霊につかれたおしのいやし」
大倉牧師が「これらの奇跡は神様にとっては奇跡ではなく、当たり前のことなのだ・・」と言われたとき、新しい聖書の捉え方に心を動かされました。
だから、神は万能なのだと再度、私の心に囁きかけてきました。神にとっての奇跡とは何でしょうか?ダイヤモンドより硬いものは、実は私の頑固な心だと言うことを痛感し、その頑なな心が砕かれることが、神様の奇跡であると確信しました。
神様は砕かれた心を軽しめられませんとあります。マタイの改心が、私の救われた時のこととオーバーラップし、「キリストにあって目が開かれ、主に従った。そして義と認められた」ということこそが、奇跡中の奇跡であることを思い・・。
私が意地を張って、神様は信じますが、イエス様を神の子と信じられませんと、頑なだった心を砕いてくださり、方向転換が出来たことが、神にとって私の上に起こされた奇跡に感謝し、心から救い主の御名を崇めました。
日々、神様のご慈愛と憐れみの中で、心安らかに過ごせるこのお恵みは最高の幸せです。神様ありがとう御座います。このご恩に何を持ってお報いいたしましょう! ハレルヤ!
とし子










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