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希望という名のあなたを訪ねて

最近、私は、“希望”という言葉にとらわれています。この“希望”という言葉には、明るい光と黒い影が含まれているようです。

昔、岸洋子という歌手が、「希望」という歌を歌いました。“希望という名のあなたを訪ねて、遠い国へとまた汽車にのる”という言葉で始まりますが、せつない思いを漂わせます。岸洋子、、、昔の歌手は本当に歌えたんですね。

今は、口先だけで叫んで、踊るだけ。あれで、よくも喉がやられないものだと変な感心をしています。

ある人が、「希望」というのはかなえられないうちが花、かなえられたら「希望」は終焉する、と言いました。

そうですよね。東大に入りたいという希望をもって、寝る時間をつめてまで勉強をして、ようやく入学を果たしたとしたら、もうその希望は達成されたわけですから。じゃ、あの人と結婚したいという希望は、結婚式か市役所への届け出で終わりになるのでしょうか?いいえ、もし、それが、結婚から良い家庭を築くという希望に引き継がれたら、希望は生き続けるわけですね。

いずれにしても、私たちには希望がある。何らかの希望がなければ、私たちは生きていけないのです。

私たちがアメリカに来て、私は何度となく、ここアメリカでやっていく希望を失いかけました。でも、いつもポジティブで朗らかな妻に助けられたのでした。“妻をめとらば才たけて・・・”と言いますが、男の人生は、その伴侶によって決まるとつくづく思いますね。

でも、そういう助けがなくても、どんなに落ち込んでいても、私たちは、生きる希望を新たにすることが出来るのです。聖書に「人はパンだけで生きるものではなく、神さまの口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」と書いてあります。

私たちは、聖書の言葉に打ちのめされることもあれば、み言葉によって再び立ち上がることができるのです。そして、手探りで小さな足場を見つけることができれば、そこからまたチャレンジしていくことが出来るのです。私がそうだったから、確信をもってそう言えるのです。聖書のみ言葉には、普遍的な力があるようです。

「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうち最も大いなるものは愛である。」(第一コリント13章13節)

ロバート・イー


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