Read Article

映画「ベケット」(放蕩の達人から聖い聖人に変身)

<トーマス・ベケット、Thomas Becket>

この映画は、トーマス・ベケットという歴史上の人物の後半の生涯をベースに作られています。イギリス国王、ヘンリー二世は、トーマス・ベケットを見出し、ベケットは、国王の心から信頼する友となります。

ところが、ヘンリー二世がローマ・カソリック教会との確執を有利にするために、ベケットを大祭司にした時からベケットは、教会側にたってヘンリー二世に反対するようになるのです。そして、国王が直接命令したのではないのですが、ベケットは、暗殺されてしまいます。

主題は、トーマス・ベケットとイギリス国王、ヘンリー二世の友情と葛藤ですが、トーマス・ベケットの変身の物語です。

<リチャード・バートンとピーター・オトゥール>

Thomas Becket を演じる、リチャード・バートンとHenry II を演じる、ピーター・オトゥールのすさまじい演技力です。

だいたい、普通、映画は、主役があり、脇役があるのですが、この映画に関しては、ふたりがそろって主役なのです。二人がそろって(各映画祭で)主演男優賞を争っているのです。そして、映画は、三段論法のように、ふたりの友情が敵となってゆくプロセスが描かれていきます。

<この映画の名場面>

この映画の名場面といえば、ベケットを扮する、リチャード・バートンがヘンリー二世を扮するピーター・オトゥールの用意した、「大祭司の装束」を着ていくところです。

国王の遊び友達で忠実な僕であったリチャード・バートンが(大祭司の衣装をまとっていく時)“本物の”「大祭司」になってゆくシーンです。

大祭司の衣装を着て、表情が変わっていき、大祭司としての雰囲気をかもしだす、ベケット(リチャード・バートン)に、国王(ピーター・オトゥール)は、“おみごと”と言って喜ぶのです。

でも、国王はわかっていなかった、この時、ベケットが本当に大祭司になっていたことを。もう、国王の遊び友達でもなければ、忠実な友達でもない、神さまに仕える“大祭司”となったのでした。

聖書、(キリストを着なさい)

昔、教会に行く時は、男は皆さん背広にネクタイをして行きました。(女性は、スカート。教会によっては、みなさん素敵な帽子もかぶって行きましたね。)決して、Tシャツとジーンズで礼拝には行きませんでした。それは、けじめのようなものです。教会は“聖”、教会外は、“俗”です。

ところが、チャック・スミスという人が始めた、カルバリ・チャペルでは、若者たちは、Tシャツとジーンズで来るようになったのです。

それを世俗化ともいうのでしょうか。でも、やはりどこかにけじめが必要なのです。形にこだわる必要がないけど、形も必要なのです。それは、“神聖な”と形容される形ではないかと思うのです。

教会も変わってきました。静かで厳粛な場所から騒がしく飛び跳ねながら神さまをたたえる場所になってきています。

Tシャツとジーンズどころではなくなってきています。でも、教会は、野球場とは違う。ビールを飲み、ホットドックを頬張るという情況と神さまの前に出て神さまの御心をさぐるという情況は違うのです。

映画、ベケットの中で、ベケットが大祭司の衣装を着ていく時、“大祭司の装束”の意味を考えさせられたのだと思います。

この装束は、大祭司たる者が着るものなのだという思いですね。そして、その時、いわゆる、“聖霊に満たされる”という経験をしたのです。

聖書に“イエス・キリストを着なさい”という言葉がありますが、ベケットは、あの大祭司の衣装を着た時、イエス・キリストを着たのです。

ベケットは、己の罪を負って十字架上で苦しむイエス・キリストを仰ぎ見て、主イエスの前にひざまずきます。・・・そして、この時、主イエスは、パウロを使徒に任命したように、ベケットを大祭司に任命したのでした。

『主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。』(ローマ人への手紙 13章14節)

ロバート・イー


にほんブログ村 音楽ブログ ゴスペルへ
ゴスペル・ブログランキングに参加しています。よろしければ応援クリックをお願いします。


コメントをどうぞ。

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Return Top