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後期高齢者族にも希望がある

日本では、65歳から74歳までを前期高齢者と呼び、75歳以降を後期高齢者と言います。これは、あくまでも日本の医療制度での区別で、75歳以上になると複数の疾病を発症しやすく、入院比率や長期療養比率が高まり、自立した生活を送ることがむずかしくなるから後期高齢者というのだそうです。

前期高齢者が74歳までとなっているのに、後期高齢者には終わりがありません。だから、後期高齢者の中には90何歳というかなりの高齢者でもシャキシャキしている方がいますし、75歳でようやく後期高齢者の仲間入りをしたという方が、体力消耗でもうダメ、はやく天国に行きたいですという方たちもいるわけです。

正直言って、私は、身体に不自由を覚えている高齢者が苦手でした。健康で、自分で何でもできる者が、いろんな不自由を覚えている高齢者皆さんの気持ちをどう受け止めていいのだろうかという戸惑いがあったのです。そういう皆さんの苦しみ、悲しみ、寂しさを私は十分に理解できないという意識もありました。そんな私に、敬老ホームで話をしなさいという要請が来たのです。

自分が現役の時には、クリスチャンはこの世をどのように生きていけばいいのかということを中心に話していたのに、引退してからは、自分の過去を振り返り、自分の人生をどのように締めくくるかという話に変わっていったように思います。おなじ聖書から話すのに、自分の立場が変わると自分のメッセージも変わっていくんですから、実に自己中心的だと反省していますが。

敬老ホームの皆さんにどんな話をすればいいのだろうかと思いました。そして、やはり天国の話をするべきだと思ったのです。でも、天国の話をさせていただきたいと決めたものの、集まって来られた方々が全部キリスト教の教えを聞いてきた方々とは限らないし、「私たちは、天国にいける」ということが伝わるだろうかと不安でした。

それで、最初、私たちは、神さまの作品であるという話をしました。私たちは、世界で唯一の神さまの傑作である、という話をしました。そして、神さまは、私たちを愛し、御子イエスさまを送ってくださり、私たちが天国に行けるようにしてくださったという話をしたのです。そうしましたら、前に座っていたふたりの方の目が輝いたのでした。それを見て、あぁ、この方たちは、私の話を聞いていてくださっている。天国に行く希望をもっている。その目の輝きを見て、そのことだけで、私は感動したのでした。

ロマ書5章3~5節に「5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」と書かれていますが、“この希望”とは、天国に迎え入れられ、神さまにまみえる希望なんだと思います。そして、その希望は失望に終わらないとは、間違いなく天国に行けるということですね。

数年前の話ですが、94歳のT姉妹が、神様からなかなかお迎えがこないと毎日文句を言っていました。そして、ついにある日、“今晩、お迎えにきそうだ”と言って、その晩、安らかに召されました。そんな風に最後をかざりたいものですね。この世の務めを終えて、安心して御国にいけるなんて最高じゃないですか。

ロバート・イー


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