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いろんな教会があり、いろんな礼拝形式があるけれど、神さまを礼拝するという心は普遍的なものです。

教会は中身だといいますが

教会は外見じゃなく中身だと言いますが、外見も中身と同じかそれ以上に大事じゃないだろうか?と思わされています。教会として建てられた、建造物は、神さまを礼拝する場所として、特別な雰囲気があるように思います。

浦上天守堂

長崎に行った時、安いところだと言って、泊まったところが、カソリック教会が経営していた宿泊所でした。そこに入ったら、壁に無数の教会堂の写真が載っている地図がかかっていたのです。その数の多さと、その建築美に感動させられたのでした。そして、泊まった部屋の窓の向こうには、浦上天主堂が聳え立ち、後日(心臓病みの)私がその長い階段を上ったのでした。そこは、あの原爆が直撃したところで、その後、再建されたものです。

Brooklyn Tabernacle

先日、ニューヨークの息子夫婦を訪ねた時、ブルックリンでBrooklyn Tabernacle という賛美で有名な教会を訪ねました。礼拝は、9時、11時、午後1時の3回で、私たちは、11時の礼拝を目標に少し早くでかけました。

この教会は、道の名前が変わるところにあったので、完全に迷いましたが、道行く人に聞きながらようやくたどりつきました。45分も前についたのに、もう11時の礼拝のために人々が並んで待っているのです。写真でごらんの通りこの教会は、いわゆる“教会”らしい建物ではありませんでした。かつては、劇場だったろうと思われる建物です。十字架も立っていないのです。

とにかく200名余のクワイヤーの賛美が売りものなのですが、今、流行りのうるさい音楽ではなく(韓国教会なら、これでもかという賛美になるところですが)。contemporary (現代的)なプレイズ・ソングを力まないで賛美していました。ですから、もしすごい賛美を期待したら、がっかりするかも知れません。

気がつくことは、クワイヤーのメンバーが、皆、ひとりひとり普段の自分の服を着ていることです。買い物袋などをもってクワイヤーの席に入ってくるので、びっくりしますが、その人たちは、どこかに自分の持ち物をおくところがあるのでしょう。何ももたないでまた自分の席にもどってきます。(クワイヤー用の歌詞は、向かいのバルコニーの壁に写されているので、楽譜を持つ必要がないのでしょう。)

礼拝は、30分ぐらいの賛美の後に、献金、牧師のメッセージと招きで終わります。そして、私たちは、主の前に礼拝をささげたという充足感をもって帰宅することができました。

Saint James Episcopal Church at South Pasadena

一昨日、娘と婿がそれぞれアウトオブタウンということで、子供(孫たち)を見てくれというので、泊りがけで出かけました。それで、近くのSaint James という聖公会の教会に孫たちをつれて行きました。残念ながら Sunday School は夏休みでありませんでしたが、Day care があるというので、孫たちを任せて礼拝堂に行きました。小人数(8名ぐらい)のクワイヤーが練習していました。これは、伝統的なクラシックで、心なごませる賛美でした。日本の聖公会の賛美は、異国の翻訳賛美のようでぎこちないのに、英語の賛美は、どうしてこうも自然なのでしょうか。不思議です。

まだ時間が早かったためでしょう、その大きな会堂には2,3人がお祈りをささげているのが見えました。それでも礼拝時になると80人くらいの会衆が来られていました。

立教のチャペル

Saint Jamesの時代ものの長椅子に座っていたら、昔々、パイプオルガンが流れる立教大学のチャペルで、静かな時をすごしたことを思いだしました。そして、そこは、私たちが昔結婚式をあげたところでもあります。

聖書には、「この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。」(【口語訳】使 17:24)とありますが、神殿または教会堂というのは、神さまをお迎えするところ、神聖な場所なのだということを忘れないようにしたいと思います。

ロバート・イー


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