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主は良いお方、神さまは良いお方

(イスラエルにもこんな景色があります)

長沢崇史という方が「主は良いお方」というプレイズ・ソングを作りました。ご存知の方も多いと思います。


主は良いお方 (Live)

<その賛美のもとになった詩篇103篇1~5節>

103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」

<この詩篇が伝えていること>

  1. わたしは、神さまをほめたたえます
  2. わたしは、主の良くしてくださったことを何ひとつ忘れません
  3. なぜなら、神さまは、私の不義を許し、私を贖い、良いもので満たされるからです

<でも、私の人生には、良いことばかりあるとはいえない>

実際、私たちの人生は、良いことばかりではないのです。この詩篇を歌ったダビデ王と言う人の人生は、波乱万丈、戦場で多くの人を殺し、神さまの嫌われる姦淫も犯し、自分の子供から命をねらわれ、逃げ回ったりしました。こんな人生がそんなに“良い人生だと言えるでしょうか?どうして、神さまは、“私の一生を良いもので満たされる”と言い切ることができるのでしょうか?

<良いもので満たされるという“良いもの”とは何ですか?>

私が中学生のころ、夏に「臨海学校」というのがあって、そこで、“遠泳”というのをしました。湾からゆっくりと沖に出て、ぐるってまわって戻ってくるのですが、約4里(9.8マイル)泳ぎました。周りには船が数隻待機していて、“もう疲れた、助けて~”という者を引き上げてくれます。

私も自信がなかったので、“前の奴が降参するまで、がんばろう”と思っていたら、前の奴が最後まで泳いでしまったので、自分も完泳してしまったのでした。で、ようやく沖にあがって、食べたあのおかゆの美味しかったこと。熱くて口をやけどしたけど、冷え切った身体に染み込んでいくんです。それは、とても言葉では説明ができない至福の時でした。

泳いでいる間、私は、何度も船にあがろうかなと思いました。“前の奴が・・”と決めていたんですが、“もう疲れた、もうこの辺でいいじゃないか”と思ったり、“なんでこんなことをする必要があるんだ”とも思いました。でも、この一杯のおかゆが私の疲れた身体に、不安でおびえていた心に、心地よい満足感を満たしてくれたのでした。

今は、私は、神さまに会ったら、こういうことを聞いてやろうかとか、文句のひとつふたつ言いたいと思う時があります。でも、多分、神さまに会ったら、そういうのは、みんな吹っ飛んでしまうかなと思います。神さまは、本当に良いお方だからです。

<あなたの若さは、鷲のように、新しくなる>

これは、よくわかりません。だって、人はみな、歳をとり、弱りきって天に召されていくではないですか。でも、“神さまが良きもので満たしてくださる”ことを信じることができる人は、たとえ身体が効かなくなったり、寝たっきりになっても、日々新しくなるというのです。そして、私たちは、天に凱旋していくのです。

「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(新改訳 Ⅱコリ 4:16)

ロバート・イー


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