Read Article

病気の人への配慮

ひと月ぶりにやっと帰米しました。皆さん、ただいまです。

やっぱアメリカはいいなぁ!わが家はいいなー!まだ時差ボケ状態ですが、早速、首をながーくして待ってくれていたオフィスに戻りました。

母は私が日本へ行った時はそれなりに元気で骨折治療に励んでいましたが、私の滞在中に大変な病気を併発し、私の手をつかんで苦しんでいる母を見ながらおろおろし通しでした。

適切な治療がもう一日遅かったら、命が危ない状態でした。幸いにも、今”振り出しに戻る”って感じで、大変な病気の術後と骨折治療後のリハビリに励んでいます。

電話で隊長(NCM2)に報告している時には、思わず涙が出てきて言葉になりませんでした。皆様、本当にご心配をおかけしました。そして、お祈りをありがとうございました。

ひと月も日本の田舎町での看病生活では、様々なことを教えられました。あっちにおじぎ、こっちにおじぎ、あっちに気遣い、こっちに気遣い!

世間様の暖かさに感謝するとともに、うわさ話の好きな隣人や知り合いたちへの気遣いに、精神的に疲れる毎日でもありました。

母はこの十年の間常に病身で、手術で入退院を繰り返していました。なにしろ、ひとつふたつの病気持ちではないのですから、母も” またーっ!”って他人に言われる事をものすごく嫌がり、お祈りしてもらうより、病気であること、手術入院を知られる事を、非常に怖れていました。

病人(母)の気持ちは、病気をした本人しかわからないのでしょうが..。っと言うわけで、母の気持ちを思って、今回は極力内密(Confidential)にしていました。

この度の母の入院を通じ、これまでの私自身の病気の方々に対する接し方を反省しました。病気になった時、沢山の方々のお祈りを望まれる方と、ほんとに親密な関係の人の祈りのみを望まれる方と二通りのケースがあるみたいです。

病気というものは、コンフィデンシャル(公開しないこと)なものだと思いました。

クリスチャンの私は常に病気の人に対して、「多くの人に祈ってもらえばいいのに!」と思ってましたが、
それよりも、その人が何を欲しているかを配慮してあげる事、それが一番大切なんだ!ってことを教えられたように思います。

心身共に苦み、痛みに耐えかねて、健康な時の美しさをなくして病室で寝ている人のそばに行ける人は、そう多くはないように思えてなりません。

私は、寂しい病室にお見舞いに来てくれたらとっても嬉しいのか、と思ってました。内心、いつまた病気になるかわからない爆弾を抱えていると思っている母が、どうか元気になって、もう病気で苦しむことは2度とない事を、神様に祈るのみです。

留守中私と母の事を心配して祈ってくださいました皆さんに、感謝の気持ちで一杯です。母からもお礼をとの事です。ありがとうございました。

マダム

コメントをどうぞ。

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Return Top