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無くてならぬもの

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イエス・キリストは答えて言われた。「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。しかし無くてならぬものは多くはない。いや一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。 

ルカによる福音書 10:41 

イエス・キリストがマルタの家に客として招かれた時のお話です。客をもてなすためのご馳走作りに懸命のマルタが、ふと気づくと、妹のマリヤは手伝おうともせずにイエスの前に座りこみ、夢中になってその話しに聞き入っているのです。早くしなければと、気ばかり焦る姉のことなど眼中に無い妹の態度にすっかり腹を立てたマルタは、「先生、この妹に一言注意してくださっても良いではありませんか」とイエスに詰め寄ったのです。

これは何処の家にもよく起こる、ありふれた出来事に過ぎないかもしれませんが、この時にマルタに答えられたキリストの言葉は、わたしたち心にに考えさせる大きな力を持っています。キリストはいきり立つマリヤをなだめながら、「あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。しかし無くてならぬものは多くはないのだ。」と言われたのです。

昔のことわざに「二兎を追うものは、一兎をも得ず」というのがありますが、考えてみると、わたしたちの人生は本当に無くてならぬものを追い求めるのではなく、ただ世間に押し流され、アレもコレもと人真似をしてどうでも良いものを追い求め、結局は何も得られずに終わってしまうということが多いのではないでしょうか。

そこであなたにとって、イエス・キリストが言われた「たった一つの無くてならぬもの」とは何だとお思いでしょうか。先日もひとりの聴取者の方から、こんなお手紙をいただきました。「わたしは当年76歳、恥ずかしながら未だ自分の宗教も持たずに生きています。でも心の何処かで、人間以外の何かを探している自分に気がつくことがございます。」と。

あなたはいかがでしょうか。あなたにとっても、わたしにとっても、「無くてならぬただ一つのもの」とは神を知ることであり、神がお遣わし下さったイエス・キリストの愛を知り、それを信じる信仰なのです。世界とわたしたちを造って下さった神様は、今もわたしたちの人生を導いておられ、イエス・キリストによって永遠のいのちを与えようとしておられるのです。

この時、妹のマリヤは世間的な日常のもてなしに没頭する代わりに、イエスの前にひざまづきその話に耳を傾けることによって、「無くてならぬただ一つものを獲得」したのでした。この唯一の宝を、あなたも、是非、ご自分のものとなさってください。

鈴木栄一牧師 

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