主のみことばに希望を持ち続けようぜ。全ての人のため祈り続けて行こうやないかい!

我輩は酒場牧師である

我輩は酒場牧師である。前科はまだない。さて、今回も前回に続いて全世界で猖獗を極めているあのコロナウイルスについて書こうかなと思うのである。

志村けんさんもこの病で亡くなってしまった。ウガンダでカバ見たさに戦争最前線に行ってしまい、中国のスパイと間違われて投獄された話など二百万光年のかなたに飛んで行ってしまったではないか。アフリカもののファンの方、もう少しお待ちください。

今朝聖書を読んでいたら、(え?こいつでも聖書なんか読むのか!?などと思ったヤツは誰だ!?我輩は酒場牧師であるぞ。ナメたらあかん!)こういう記事にぶつかった。

「ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、『みこころでしたら、きよめていただけるのですが』。イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた。すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった」(マルコによる福音書 1章40〜42節 口語訳)(注:「らい病」という呼称は現在差別語となってしまっているのかもしれないがここでは1954年版新約聖書から引用)

当時はらい病は恐ろしい伝染病と考えられこの病気にかかった人は通常の社会生活を営めなくなった。村や町から追い出され同じ病いのものたちだけの共同生活を余儀なくされ、ゲットーのようなものを形成せざるを得なかった。

「汚れ」とか」「清め」とかいった概念が強かった時代なので、彼らは「汚れた」者と見なされ差別され排斥されていたのである。ひでえ話である。ちなみに我輩は旅の牧師である。家はまだない。(賃貸してるけどよ)

我輩は弱虫ゲロ吐き牧師である。

遠い昔のことであるがアジアのある国でこの病を罹ったおばあさんにあったことがある。我輩は食事中であった。彼女は物乞い中であった。

ガツガツと食い漁る(もちろんカレーを)我輩の前に立って黙って手を差し出していたこの人を我輩は初めは無視していた。

断っておくがこの時我輩は牧師どころかクリスチャンでもなく、人をも神をも恐れぬ傲慢な無神論者の好青年であったに過ぎないのだ。牧師のくせに非情なヤツだなどと責めるのはお門違いである。非情だけどよ。

やがて無視し続けるのに耐えられなくなって我輩は目をあげた。自分が何を見ているのかさえわからずしばし呆然と見つめた結果、ようやくこの人がらい病を患っており、その真っ最中であることに気がついた。正直に言うが我輩はその場で吐いてしまった。

本当に失礼なことをしたと今では深く恥じているがそれが事実なのである。恐ろしかったのである。走って逃げちゃったのである。

我輩は弱虫ゲロ吐き牧師である。踏みとどまったことはまだない。

聖書の言葉を思い出してもらいたい。

先ほどの聖書の言葉を思い出してもらいたい。「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわ」って癒したのである。我輩にもしも病気を癒す力があったとしても、さわって癒すことはしない、いやできないであろう。触らずに離れたところから遠隔癒しでお茶を濁すであろう。

しかし、イエスは「さわ」ったのだ!無理にさわらなくても癒すことはおできになったろう。それでもイエスはさわったのである。なぜだろう、なぜかしら?

その直前に「イエスは深くあわれみ」とある。この「深くあわれむ」という言葉は原語ではギリシャ語でもヘブライ語でも、「内臓、はらわた」から生まれた言葉である。つまりイエスはこのライ病人を見て、ご自分の内臓が痛むほどに哀れに思われたのである。同情だとか、かわいそうだ、などという安っぽい言葉ではない。

「我膓(わがはらわた)彼の爲に痛む」(旧約聖書エレミヤ書 文語訳)という言葉もある。こちらは原語はヘブライ語である。イエスも父なる神も、我々の痛み苦しみを見る時「はらわたを痛めて」憐れんでくださるのである。だから普通の人なら決してさわることなどできないような病人にも平気でさわって癒してくださる。

長年社会から排斥されてきたであろうこの人の心の痛み、悲しみを主は知っておられ、それをも癒したかったのだ!

我輩は今回のコロナウイルスが聖書時代のらい病と同じものだと言っているのではない。問題はイエスがさわってくださった時に何が起こったか、である。強い伝染性があると考えられていた病いである。見ている人々は「さわったらイエスに移っちゃう」と思ったかもしれない。

しかしそうはならなかった。代わりに驚くべきことが起こったのである。イエスがさわるや否や「らい病は直ちに去った」のである。一瞬にして病原菌は死滅、殺菌されてしまったわけだ。全能の神に勝てる病原菌もウイルスもあるはずがない。

神の言葉はこう告げる。「神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。」 (旧約聖書 列王記下 20章5節)

主のみことばに希望を持ち続けようぜ。この「はらわた痛めて」「深くあわれ」んでくださる主に希望を持ち、全ての人のため祈り続けて行こうやないかい!

我輩は主に仕える酒場牧師である。捨てられたことはまだない。(女性からはある、何度も)

中村 透(牧師バー店主/主任牧師@酒場で教会)


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