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宣教の地で主の力を体験する恵み

アメリカに戻るたびに報告のために訪れる教会で、宣教師について特別な人間であるかのようなコメントをたびたび耳にすることがあり、実際の私自身を知る時、ただ「主のおかげです」と答えるしかありませんでした。

第1コリント1:26-29で神はこの世の弱い者、おろかな者を選ばれた、それは、神の前で誰をも誇らせないためだとパウロは書いています。神は自ら選ばれた弱い者、取るに足りない者を、神の御国に奉仕する者として、色々な場所、民族、人々へ送っています。

なぜなら、弱い、取るに足りない私たちを使って、イエスキリストの福音を伝え る目的で、私たちを救って下さったからです。宣教師と言われる人々も、同様に、 この世では取るに足りない人々ですが、召された奉仕の場所と環境がユニークだと言えます。

それまで住み慣れた土地、家族や友人を離れ、未知の土地で言葉を習うことから始め、全く違った文化や社会の仕組みに順応しつつ、また同時に、限られた人数の、自分で選んだ訳ではないチームの人々と、時には友人として、時には家族とも言えるような、喜びも困難をも分かち合う交わりを持ち、彼等と共に奉仕をする過程で、幾度となく自らの弱さを思い知る機会が毎日のようにある、というユニークさです。

このような経験の中から、神が私達を宣教の地へ送られる目的には、行く先の土地の人々に福音を伝えることと同時に、送られた神の子供達を、その地での生活と奉仕を通して清めること、そして両方の重要さは同等であるということを理解しました。

他の多くの宣教師達も同様の理解を持っているということを知っていますが、教会では通常、第一の点に焦点がおかれ、第二の点はほとんど忘れられているように思われます。

17年近く海外で宣教師として生活し、奉仕をする恵みを受けましたが・・

17年近く海外で宣教師として生活し、奉仕をする恵みを受けましたが、その準備期間の間に心から取り去ることのできない大きな不安がありました。宣教の地に到着する時には52才になっていることから、世界でも一番難しい言語の一つと言われている、その国の共通語を学ぶことができるだろうか、また、何年奉仕できるのだろうか、という確信の無さを、主に何度も祈り、もし言葉があまり話せなくても、私を召してくださった神は私を使うことができると自分に言い聞かせました。一期(4年間)を務め終えることができたら、感謝で一杯だとも思いました。

こんな不安の中で、ある日、第2コリント12:9-10を読み、心の目 が開かれました。パウロはこう書いています。「しかし、主は『わたしの恵みは、 あなたに十分である。というのは、わたしの力が、弱さのうちに完全に現れるか らである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうため に、むしろおおいに喜んで、私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

これを読み、私が若い人達のような能力を持たないことこそ、神がご自身の力を示すための最適な機会であることを知り、限りなく励まされました。

この言葉は、17年近く宣教の地で生活した間に出会った色々な状況や困難のた びに主は使って私を励まして下さいました。一緒に奉仕をしていたチーム.メイト がアメリカに戻って一人取り残された時、現地の法律が変わりビザを得る道が無 くなった時、信頼できる医師が皆無である状況にあって病気になったり、怪我を した時、秘密警察が電話の会話を盗聴し、e-mail を盗み読んでいることを知って いる時、そしてチームなしで奉仕を続けることになった時など、自分ではコント ロールできない状況がありましたが、神は毎回、聖書の言葉を通して励まし、自 ら言われた通りにキリストの力を現してくださいました。

パウロが第2コリント12:9-10でこの言葉を書いた背景

パウロが第2コリント12:9-10でこの言葉を書いた背景を見てみますと、さらに14年前に、口では言い表す事のできない、素晴らしい啓示を神から受けたことがわかります。第6節では、この啓示を受けたこと、その素晴らしさは真実であって、そのことを誇らしげに語ったとしても、嘘を言うことにはならないと言っています。

第7-8節では、肉体を与えられたトゲについて、三回も神に祈ったが、叶えられず、その結果として、受けた啓示と、与えられた肉体のトゲの間の関係を感知する能力、聖霊によって与えられたパウロの思慮が示されています。

そこに、何が誘惑になるかを知る知恵を見ることができます。そして第6-7節から、それは人がパウロを実際以上に過大に評価することだと分かります。

パウロのように、素晴らしい啓示を受ける経験とは違っても、同じような誘惑には色々なものがあります。例えば、若さ、健康、学歴、経験、友人関係、経済力、特技、知識などは、その例です。霊的な領域では、奉仕の種類、賜物、受けた啓示、聖書の知識、奉仕の長さ、奉仕の結果、奉仕の困難さなどをあげることができます。これらは、まわりの人々が私達を持ち上げ過大に評価する誘惑の材料となり、その結果、私たちが自分を高めて誇る誘惑となります。

パウロは、与えられた肉体のトゲは「私が高ぶることがないように」と与えられた「サタンの使い」と言っています(第7節)。そのことを理解したパウロは、逆に、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじ、大いに喜んで弱さを誇りましょう、と言っています。

弱さには、肉体や能力の弱さがあります。侮辱とは、人にさげすまれたり、欠点 や間違いを明らさまに言われたり、又は根拠のない非難を受けることなどでしょ う。苦痛には、けがや病気などの肉体的なものと、親しい人に裏切られたり、家 族の死に出会うこと、又は侮辱を受けるというような、心の苦痛があるでしょう。

迫害は、キリストに従う結果として受ける、色々な種類の圧力、拒絶、暴力など、 そして困難には経済上、生活上、人間関係でのものなどがあります。私たちの主 イエス.キリストは、これらすべてを経験しました。ここで思い出されるのは、 「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を 学び」(ヘブル5:8)という言葉です。

年令による弱さのおかげで、自分の能力に自信を持つこと(高ぶること)から守られ・・

宣教の地に着く前の不安と、その地での年月をふり返ってみると、年令による弱さのおかげで、自分の能力に自信を持つこと(高ぶること)から守られ、逆に神自身の力を現されたことに、深い感謝と喜びを憶えます。

学ぶことができるだろうか、と思いわずらった言語だけでなく、土地の民族の言葉をも学び、それらを使って、その土地の女性たちと聖書の勉強や信徒訓練をすることができました。

一期(4年間)だけ奉仕できたら、という臆病な期待とは大きく違い、4期(1 6年9ヶ月)奉仕することができました。これらは、私自身の想像もおよばない、 イエス.キリストの力による奇跡です。

何年にもわたって、色々な状況で自分の弱さ、困難などを経験することによって、そしてその度に第2コリント12:9-10によって励まされ、キリストの力を知ることを通して、この言葉の意味がより真実となりました。さらに、ヤコブ1:2-4の、「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つかけたとこ ろのない、成長を遂げた、完全な者となります。」という言葉に賛同して、試練 の中に隠された神のめぐみーー主の力が表される絶好の機会ーーを見て喜ぶこと ができるようになりました。

そしてさらに、ピリピ人1:29の「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」という言葉を読んで、苦しみを深く知る主が、苦しみを通して私たちの心を主の心に引き寄せようとする、主のめぐみ、驚くほど深い愛を感じない訳にはいきませんでした。

私は「完全な者」ではありません。しかし、自分の弱さを知ることから、神の力を少しだけ知り、忍耐を少しだけ得て働かせる機会を与えられたことを、最良の賜物と、感謝しています。これは、奉仕を通して主の力を見ることのできた恵みと共に、他に比べるもののない、深い喜びと感謝の源です。

吉村京子


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  1. 主のなさる事は時に叶って美しい
    感謝します。おおいなる はたらき。

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