神様の盆栽

2018/06/10命の水の泉から

ローカルの日系紙にかかわっていることから、毎年盆栽クラブの新年会に招かれる。メンバーはクリスチャンの方々も多い。みなさん高齢で、ほとんどが一世の方たちだ。この十年、ひとりとして、欠けたことなく、そればかりか、みな十年前に知り合った時と変わりない。つまり、若々しく、かつ柔和だ。どうしてだろうと思う。平均年齢八十歳ではないかと思うのだが。

毎回、新年会で新聞社の通信員として、私は挨拶をしなければならない。何か気のきいたことを話したい。そこで、なぜ、彼らが若く、また柔和なのかを考えてみた。

毎年見せてもらう、春の皐月展、秋の盆栽展を振り返る。その美しさと年月のかけ方はすごい。毎日の水やり、太陽光線の配り方、それは大変な愛のかけかただ。そして、わかった。これが彼らをして柔和にし、また、若さを保たせている秘訣だと。彼らは命に携わっているのだ。並たいていの愛ではないし、並たいていの根気ではない。時間を要する、根気と忍耐の連続の作業だ。

私はドアプライズでいただいた盆栽をいままで何鉢も駄目にしてしまっている。毎日水をあげなければいけないのに、忘れてしまったり、日照りのところにうっかり置いてしまったり。彼らのような愛は私にはない。

彼らの作品は目をみはるようなものだ。35年もかけて育てた作品もある。まさに愛の集大成の作品だ。

そして、一方では、私たち自身が神様の盆栽だと気づかされた。神様は毎日私たちがただ、受け身でも、たえず、水をかけ、太陽を注ぎ、成長させてくださる。ときとしては、枝をおり、針金を巻いて、私たちの行き手を示してくれる。

私たちが神様に大事にされている盆栽なのだ。果たして、盆栽のように目を見張るような良い出来だろうか。神さまがいっぱい時間をかけただけの作品になっているだろうか。

心配しなくても神様の方でしてくださるのだからお任せしよう。良い実がなるかもしれない。きれいな花が咲くかもしれない。花や実がなくても堂々とした枝ぶりで、見る人を楽しませるかもしれない。針金で曲げられ、いらない枝は切られるかもしれないが、それはきれいな作品になるために必要なこと。

ただ主にお従いしよう。そして、神様の集大成となろう。小さくても。

「自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」  第一コリント6−20


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2018/06/10命の水の泉から

Posted by NCM2 CHOIR