幸せの黄色いハンカチ 

2018/06/11命の水の泉から

友人を送るため、いつも通らない所に行った。車の前方にピンクの世界がひろがった。なんとサンフランシスコ湾の入り江をはさんで、プラムの木が並んで植えられていて、それが真っ盛り。桜より濃いピンクだが、計画的に植えられたのだろう。木の大きさが同じで湾の水とそのピンクが幻想的だ。日本の桜の満開の華やかさを思いおこさせる。しかも自動車も人も周りにいなくてまるで、違う世界に足を踏み入れたようだった。

これはひとり占めにしてはもったいない。明日夫に見せたいと、教会の帰りに夫に5分だけ私とつきあってくれるように頼んだ。またもや、一生のお願いと頼んでみたが、すでにその切り札は使い果たされているという。というのは、我が家の人間は皆、自然を愛でることに興味がないから、その都度、頼んだり、だまさなければならない。理由をいうと断られるかもしれない危険性がある。夫は機嫌が良かったせいか、帰り道に近いせいか、承諾した。勿論花見ということは伏せておいた。

そして、私たちの花見ドライブは3分くらいで終わった。夫もその華やかさに、まんざらでもなかったらしい。

昔、受洗直後にきいた金東明先生(「たといそうでなくとも」の著者である安利淑女史のご主人)のメッセージで衝撃を受けた時のことを思いだした。あれはピンクではなく黄色の世界だったけれど。

アメリカであった本当の話(Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree)で、ある受刑者が刑期を終えて家に帰る途中、そわそわしだした。バスの窓から、しきりに外を見ていた。それは刑を終えて帰るのに、父親がもし自分を受け入れてくれるなら、樫の木に黄色のハンカチをつけておいてくれと頼んでいたというのだ。

そして、彼は驚いた。前方が黄色の世界だったからだ。父はただひとつのハンカチを結ぶだけではなしに、農園すべての何千本もの木に黄色いハンカチを結んで息子の帰りを待っていたというのだ。まさにルカ伝15章の放蕩息子の話である。父なる神はそのくらい私たちを愛し、どんなに罪深くてもこのように向こうのほうから、走りよってくださる方なのだ。

「まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走りより、その首を抱いて接吻した・ルカ15−20」

ご存知のようにこの話は30年ほど前、日本で山田洋次監督によって「幸せの黄色いハンカチ」という映画になり、一斉を風靡した。また今年ハリウッドで映画化が決まった。この映画から、ヒューマニティーではなく、父なる神様を感じてくれる視聴者がでるようにと祈る。

竹下弘美

 


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2018/06/11命の水の泉から

Posted by NCM2 CHOIR