見掛け倒し  

2018/06/10命の水の泉から

フィリピン人の友人の話をきいていると、フィリピンでは夕食後、庭を一巡すると、ありとあらゆる果物があるので、何の果実をデザートに食べるか、その日によって選り取り見取りだという。果物が豊富で、アバカドなどは豚の餌だという。 

果物が豊かだと、心も豊かになる。しかもそれが自分の家の庭で取れるとなればなんと幸いだろう。

カリフォルニアでも庭にいろいろな果物がある家がある。季節季節で、桃やプラム、柿などをおすそ分けしてくれる人がいて、うらやましい。 と他人ごとのように思っていたが、我が家にも立派なオレンジの木があるではないか。

でもそのオレンジの木は、実はまるで赤ちゃんの頭大くらいの大きさで、立派なのだが、みかけだけで、毎年食べてみていたが決しておいしくなかった。皮が厚く、水不足のためだろう。中がかさかさでその上甘くない。陽の当たりも北向きだから無理ないかもしれない。

オレンジカウンティの家にあったオレンジは水だけしかあげなかったが、気候がちょうどあっていたのだろう。とてもおいしかった。そこでこの家のオレンジの木は鑑賞用と思って、今まで馬鹿にして、今年は食べてみようともしなかった。

けれど、買い置きのオレンジが切れてしまい、ついに、次に買いにいく間に、試しに、ごろごろ落ちていた我が家のオレンジを食べてみた。極力オレンジ色の濃いのを選んだ。

「おいしい!!」

甘みはなく、あいかわらず、皮は厚いが、新鮮さは抜群だった。最近スプリンクラーを設置したので、水遣りが毎日自動で行われるようになったから、ドライなかさかさがとれ、ジューシーになったのだろう。

それからは毎朝まるで、マナのようにその日に食べる分だけを、もいで、食べている。でも皮が厚いので、食べるのにまるで戦いだ。 

これはクリスチャンについてもいえるのではないか。とかく見掛け倒しのクルスチャンが多いのではないか。私たちはスプリンクラーを設置する前のあの見掛け倒しのオレンジのようなクリスチャンであってはならない。どうせなら、イエスさまの十字架を賭けてジューシーな実、(愛、喜び、平和、寛容、自愛、善意、忠実、柔和、自制—ガラテヤ 5−22)を結びたい。

それには水遣りだ。根元からしっかりと水を吸うことだ。根元であるイエス様にしっかりとつながって、御言葉をという水を絶えず霊に注ぎ、祈り続けることだろう。

今朝も皮の厚いオレンジを剥くのに戦いながら、そう思った。

竹下弘美


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2018/06/10命の水の泉から

Posted by NCM2 CHOIR