Read Article

今も生きている戦後の話、19才の混血児の孤独な戦い

私たちには、いつも、どんな時でも愛し、支えてくれるお母さんが居ます。母親は、自分の子供のためには、命をも捨てるのであります。 “母はその子を愛する”と私は、言いました。でも、例外もあるのです。生まれてすぐに、自分の子を捨てる母も居るのであります。・・・

私たちの親友に、クラーク桂子さんという人がいます。私は、この人を尊敬しています。誇(ほこ)りにさえ思っております。彼女の本を読むたびに、私は、涙がとまらなくなります。

その本には、彼女の「知性」があふれています。

彼女の本、『日本人桂子』という本のはじめに、日本の文豪、水上勉(みなかみ・つとむ)氏が、<序にかえて>賛辞(さんじ)という文を書いています。

水上氏は、、“この本「日本人桂子」は、混血の子として生まれた一女性の魂の記録である。私は、正直に言って、最近、これほど、心を打たれた手記を知らない。”と書き出しています。

そして、“”桂子さん、これは、あなたの魂の記録だが、日本人に投げつけたあなたの詩の花束である。立派なご本をありがとう。<1967年初秋>”と書いています。

私は、水上氏を尊敬していますが、この本は、“詩の花束”なんかじゃない。桂子さんのこなごなになった心であります。“砕け散ったガラスの破片”です。

痛くて、誰も、その上を歩けない。無理に(その上を)歩こうとすれば、足から血が流れます。だから、人は、特に日本の人たちには、読みにくい本であります。つらい本です。

彼女は、混血児です。そして、生まれてすぐに、彼女は、生みの母に捨てられたのです。

「私の出生―それは、その瞬間から一日の休みもなしに、ずーっと続く、つらいつらい人生の歩き始めだった。」と桂子さんは、書いています。“私たち、混血児は、なにも好きこのんで、この世に生まれてきたんじゃない。戦争のために生まれてきたんだ。”

“こんなことをいうと、あなたたちは、みんな「それは戦争が悪いんだ」といってにげる。どうして”考える“ということをしてくれないの?”

“人間なんて、その時、その時、口先だけで、「かわいそうに」とか「苦労したでしょう」とか言う。ーーもうたくさん。”

“たくさんの人にだまされてきた私には、親さえ信じられない。人間なんてみんなうそつき!”

彼女は、子供の時から、“くろんぼ”“あいの子”“パンパンの子”などと馬鹿にされ、はやし立てられ、石を投げられて、育ちました。、、銭湯(せんとう)に行くのも、閉まる直前に、だれもいない時を見計らって行ったのでした。

「育ての母」も一緒に銭湯(せんとう)に行ってくれませんでした。

でも、彼女は(けっして)負けなかった。彼女は、全世界を相手に戦ったのであります。彼女が18才の時、生みの母のところに会いに行きました。

彼女の「生みの母」にとっては、えらい迷惑でした。桂子さんは「私を育てるつもりがなかったのなら、どうして生んだの?」と思うのであります。

「生みの母」にあこがれて、ほんの少しでも、なぐさめてもらいたかったのに、、、ようやく探し出して会いに来たのに、、、生み母は、夫に「この人は誰だ」と聞かれても返事ができないのです。しかたなく、「親戚のものです」と助けてあげなければなりませんでした。自分のことは、「若き日のあやまちだった」で、すまされたのでした。

「若き日のあやまち」。・・・桂子さんは、justミステイクだった、と言われた・・・

私は、桂子さんのように 繊細で気強い人を知りません。皆さんには、彼女の強さしか感じないかも知れないけど、彼女は人一倍デリケートなのです。小さなことに気がつく、するどい感性の持ち主であります。

そんな桂子さんを、人々は、寄ってたかってイジメたのでした。これでもか、これでもかって。「わしは、世の中で、アカとクロが一番きらいなんだ。目の前をウロウロするな」「ぶちのめしてやろうか、皮をはいで、木に吊るしてやろうか、どうすりゃお前にたいする俺の気持ちが満足するかな」という声ばかり聞こえていたのでした。

だから、そういう彼女にも、一度だけ、 “もういやだ。死んでしまおう”と思って、電車の線路に飛び込んだことがありました。(「死んだら自分の負けになる」と知りながら)・・・でも、飛び込んだその時、電車は、反対の線路を通過したのでした。神さまのはからいでした。

このメッセージを準備していた時に、私は、インターネットで、とても悲しい記事を目にしました。それは、Yahoo Japan知恵袋というのに出ていた日本の女子生徒の悩みであります。

「私のクラスに、嫌われ者がいます。友達とあまり、話さないようにしようと決めたのですが、その嫌われ者の人の、隣の席になりました。少しでも喋ると友達に縁を切るよと言われています。私は、どうすれば良いですか?今、本気で悩んでいるので笑わずに答えを出してください。お願いします!」

みんなで“嫌われている人”と話さないことを決めた。それなのに、自分がその嫌われ者のとなりの席になってしまった。その人と少しでもしゃべれば、縁を切ると言われているので、困っているというのであります。

何これ!・・・今、戦後の70年前の話をしているのに、平成の今の若い子がこんなことを言っているんです。・・・あの集団イジメの精神がちゃんと受け継がれている。・・・情けなくて、悲しくなります。・・・親はどういう教育をしているだろうかと思うのですが・・・たぶん、その親も同じなのでしょうか。

桂子さんの話をはしょりますが、その話がサンフランシスコの新聞、北米毎日に小さな記事として載り、日本の宣教に重荷をもっていた、クラークという黒人青年が桂子さんに手紙を書きました。

そして、クラーク青年は、桂子さんにプロポーズしたのです。桂子さんは、悩みました。自分は、日本を愛している。アメリカなんて嫌い。そこには、黒人差別もあるじゃないか。・・・でも、・・・最終的に「自分の子供には、自分と同じ思いをさせたくない」というところにたどり着いたのです。

アメリカに行くためにビザを申請した時、桂子さんに戸籍がないということが問題になりました。それで、彼女は森繁久弥夫妻の養女になったのでした。

アメリカに向かう、プレジデント・ウイルソン号が汽笛(きてき)を鳴らし、岸壁を離れた時、桂子さんは、大声で泣きさけんだそうです。・・・桂子さんは、彼女を理解してくれた森繁さんご夫婦、数少ない友人たちと別れるのが辛かった。・・・・そして、・・・それ以上に、自分が生まれた、“日本”という国に別れを告げるのが無性に悲しかったのであります。

今でも、桂子さんは、日本を祖国と思い、日本という国を愛しています。たとい、その日本が自分のことを、“国の汚点”として、しか考えないとしても。

桂子さんの話しは、絶対に教科書には載らないのであります。そして、そのうち忘れさられてゆく話かも知れません。でも、神さまは、この「19歳の混血児の孤独な戦い」を忘れはしない。」“桂子よ、よくやった”とほめてくださると確信します。

否、神さまは、桂子さんを褒めてくださったばかりか、(森繁久弥氏の養女になった以上に)神さまの子どもにしてくださったのです。桂子さんは、神さまを信じ、神さまがどんなに彼女を愛してくださっていたのかわかったのです。

桂子さんには、数人の母親が居ます。「生みの母」、「育ての母」、そして、桂子さんを養子にしてくれた、森繁久弥さんの奥さん。彼女は、本当に親身になって、彼女を助けてくれた人です。・・・すでに、皆さん、亡くなっています。

桂子さんは、常々、自分の「生みの母」には感謝できないと言っていました。それは、充分理解できます。それなのに、先日、桂子さんは、(自分の誕生日を祝ってもらう席で、)、ご主人、お子さん、お孫さんたちに囲まれて、「・・・私は、生まれてきて、本当によかったと思います。長いあいだ、“生みの母”には、感謝できなかったけど、今は、“その母”にも感謝することができます」と話していました。

桂子さんは、神さまに、“私を生まれさせてくれて、ありがとう”と感謝しているのであります。・・・ほんの少しの愛情さえみせることがなかった、あの「生みの母」にさえ感謝すると言うのであります。それは、彼女の信仰の実であり、彼女の「知性」の実であります。

「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。(旧約聖書、箴言3章23節)」

イ・ロバート


にほんブログ村 音楽ブログ ゴスペルへ
ゴスペル・ブログランキングに参加しています。よろしければ応援クリックをお願いします。

コメントをどうぞ。

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Return Top