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亡き母の思い出とフェデリコ・フェリーニ監督の映画「道」

母が亡くなって10年になる9月がもうすぐやってきます。母の事は、何かにつけてよく思い出します。沢山の思い出を残してくれた人でした。晩年は、病院に入院する事が大変多く本人にとってはとても辛い体験だったでしょうが、わたしにとってはこの時が一番母と大人の話をした貴重な時でした。

入院していてずーっとベットに寝ていることしかできないので、お話しする事しか出来ないのです。もちろんおしゃべり好きな母だったからかもしれませんが。その入院中沢山の話をした中での思い出話ですが、フェデリコ・フェリーニ監督の”道”と言う映画の話をよくしていました。

若い頃の私は、フェリーニと言うと、映画界の巨匠の一人ですが、非常に難解でグロテスク、訳の分からない映画を作る監督と勝手に思っていました。彼の作品の難解な作品は分かりませんが、”道”や”アマルコルド”のような映画は大好きでした。”道”と言う映画には、ジェルソミーナと言う哀れな女性を利用するだけ利用して、必要なくなったら捨てる残虐非道なザンパーノと言う大道芸人の男が出てきます。

映画の最後でボロボロになったザンパーノは、彼女がどれほど自分にとって掛け替えのない人物だったのか気付きますが、すでに彼女はこの世にいないことを知り、浜辺で泣き崩れると言った終わりでした。

クリスチャンになってからこの映画を見直すと、どんなに酷い仕打ちを受けても、いつも側にいてザンパーノに尽くすジェルソミーナがイエス キリストの姿に見え、そんなイエス様を利用するだけ利用し、必要なければ無視するザンパーノの姿が人間の姿のように見えてきました。

自分自身もそのような者でもあるのに、忍耐を持って待ち続けてくださったイエス様の元に帰る事が出来た事は、この映画と違ってハッピーエンド。

そんな事を病室の母に話した記憶があります。母がなぜ病室であの映画が気になったのか今では知る事が出来ませんが、色々な出来事の中で病床洗礼を受けて天に帰っていった母の思い出には、あちらこちらにイエス様の導きの”道”があったとしか思えません。

母の好きだった曲をトリビュートしたCD ”MIYAKO” の中に、この”ジェルソミーナ”の曲を入れたのも、そのような思い出があったからと言うのは言うまでもありません。美しいニーノ. ロータのこの曲を聴くたびに、イエス様の”道”の事を思います。


【試聴】tribute to MIYAKO_GELSOMINA | Yuri Matsuo and Friends

私が道であり、真理であり、命なのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネによる福音書14:6

マダム (a.k.a.Yuri Matsuo)


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